TK from 凛として時雨 「katharsis」
うん。いや、もしかしたら、いや、もしかしたらなんだけどさ。
違うかもしれないけど、もしかしたら…、
「時雨よりソロの方が好きかもしれない」
「いや、前からもしかしたら…と思っていたんだけどさ…」
というのが軽く確信に至りそうな一曲です。
個人的にはバンドの中心人物によるソロワークは大概バンド本体のものを超えることはないです。Gotchみたいに、「これはこれでとてもよい」ということはありますが、バンドの魅力はボーカリストや作詞作曲をしている人だけでできているものではないからです。
まして、凛として時雨。
どっちかと言えばTKのボーカルより345のボーカルのほうが好き。
ていうか、男女ツインボーカルというのものが限りなくMAX好き。
ピエール氏の超絶手数MAXドラムもMAX好き。
というわけで、TK氏のソロワークがバンドを上回る可能性は限りなくZEROなわけです(あくまでも僕個人の好みです)。
が、
前から気づいてはいたんですよ。
ソロワークのほうが好きなのでは・・・
・・・
・・・ということに。
そうなる理由としては
①TKの作る過剰すぎるほどにドラマチックな破滅の美学みたいな楽曲に、ソロだと加わってくるバイオリンや打ち込みのサウンドがものすごく合っている
②その自由度を増した状態がTKの作る楽曲の幅を広げている
③時雨がどこかしらマンネリ化している
以上!
まず、①。これは実際あると思うのですよ。この理屈でいくと時雨の3ピースがある種足かせになってしまっていることになる。で、②はそれによって足かせが取れたTKが自由に自分の作りたい曲を作っている。結局は③ということ。
となる・・・のか?!
ちがーう。きっと、ちがーう。
まず、③のマンネリ化なのですが、これは本当に僕の印象なんですが、ベスト盤リリースの前後あたりまでは、ちょっとそうだったのではないか、という気がするんです。時雨はTKが叫び、345のベースがうねり、ピエールのドラムは複雑怪奇に変化し手数MAX(今日はMAX多用祭りや!)という形が先行し、僕にとって時雨の最もキモであるメロディの良さが奥にかくれてしまっている気がしました。それが「DIE meets HARD」で今までのシングル楽曲とはかなり異質なトライをしたこと、次の♯5(ナンバーファイブ)で、デビューアルバム♯4(インディーズ初期のリリースを除く)の次を提示し、実際に久々の会心作だったことを考えると、今の時雨はリリースこそないですが、しっかりとその先を描いていると思うのです。3ピースということをポジティブにとらえて、そこで描けるものを突き詰めている、更にそれを楽しんでいる気がする。
でも、やっぱり近作では時雨より僕はソロの方が好きらしい。
何故!!!
こりゃ好みですかね。でも、TKのソロって使ってる楽器が違うだけで、曲は正直あんまり差がないと思うんですよね。もちろん今作のカップリングのmementoみたいなのは時雨では絶対にやらないとは思うのですが、基本的には大きく差はないはず。
うーん。
結局わからん。
でも、ソロ好きです。
このkatharsisも、イントロは「おっ!!」と打ち込み的な今っぽい感じになるのか!!と思わせておきながら、その後ドラムがドンスカ鳴ったあたりからはいつものTK節炸裂です。そして、間、間奏、曲展開が本当にドラマチック。そして間奏のギターがダサい!!!(誉め言葉)
最っ高!!!!
さいこうだよーー!!!!!
(ここで、「ヒューヒューだよー!!」と書いて、どの程度が理解してもらえるのか、とどうでもいいことを考える齢40歳の、僕です。お元気ですか牧瀬さん)
最初、TKがソロをやる、と聞いた時は、もっとポップから離れて芸術表現に寄る、例えば絵と合わせて美術館でインスタレーションを展示する、的な展開をイメージしてたんですよね。ソロ1作目はその印象から大きくは離れてなかったと思うんですが、結局どんどんポップでドラマチックになり、TKはTKだったね!という感じです。
結局最初に提示した「どうしてソロの方が好きなのか」が全く結論が出ないまま本日のブログを終えたいと思います。
あ、何度も何度もこの曲を聴いて思ったのは、
単純に
バンドサウンドに弦が合わさるのが好き
なだけかも
ということです。
失礼しました。
失礼します。