ヅレブロ  日々の徒然~音楽、映画、ドラマ、キャンプ~

アラフォー男子inHokkaido。徐々に記憶力が落ちてきたワタクシの備忘録的ブログ。もし、だれかのやくにたてばとてーもしあわせです。これから書きたいことを考えてタイトルを変えてみました!!

米津玄師 「パプリカ」

皆様ご存知かとは思いますが、Foorinが歌っていたパプリカのセルフカバーバージョンのPVが公開されました。

この曲はNHKの2020応援ソングプロジェクトによる応援ソング。つまりオリンピックパラリンピックにむけての楽曲で、オーディションで集められた小学生5人組ユニット「Foorin」が歌っています。

 

僕自身、なんせかんせ子供たちがこの曲(とダンスが)大好きなので、何十回も、もしかしたら何百回も聞いてますし、米津さんらしい和を感じさせるメロディと、元気なFoorinの声がとても心地よい、企画曲におさまらない普遍的な良曲だと思っていました。

 

その、ご本人歌唱ver.が「みんなの歌」として公開されたと聞いて、打ち上げ花火の例もあるし、とても自然な流れとして、それは良い、聞いてみようと思っていたのです。

 

が、

 

そんな生半可の曲ではありませんでした…!!!!!

 

みんなの歌で聞こうと思っている間に、フルバージョンがyoutubeで公開されたので、特に構えることなく「おっ、聞こう聞こう」と聞きましたよ。

 

 

 

いやね、安直に使う言葉ではないと思うのですがね、「天才」ですよね。天才。レベルが段違い。ダンチですわ。

 

それこそ、上にも書いた「打ち上げ花火」のソロver.も、DAOKOさんとのものに比べ、米津さんの嗜好性がモロに出ている、というか、ポップさ・ドラマチックさよりも音の質感にぐっとこだわった(とはいえ、メロディがポップなので、その良さも全く消えないのですが)楽曲でした。

 

今回のパプリカも、簡単に書くと同じです。米津さんが今求める「音」にぐっと寄ったサウンド。でも、そのレベルが段違いに変わっている。

 

アイディアに溢れたリズム、多く配された和の楽器、米津さん自身の歌唱も、Foorinのものよりも、ぐっと「和」のイメージを強く感じさせるものになっています。これはFlamingo以降顕著な、今この国に居る彼にしかならせない音・メロディ、だろうと思います。節回しや、「曲りくねり はしゃいだ道」の最後が米津さんバージョンは原曲と違い、音程が下がっている(表現合ってますかね…、「みちー」が下がるんですよ!!!)等、Foorinの元気快活なイメージよりも、「和」というものがもつ、美しさと同居する生々しさ、不穏さ、不気味さ、が際立って感じられます。

 

 

いままで覆っていた、「JPOP」というオブラートのようなものを全てとっぱらい、生命の鼓動をそのままに鳴らしているような印象を、この曲と、本当に素晴らしいこの曲のMVから感じました。

www.youtube.com

 

楽曲の持っている世界観を大きく広げながらも、ものすごく繊細な部分までもしっかりと維持している、見事なMVだと思います。この「風の子」という存在が、とてもとても興味深い。

この曲も「海の幽霊」もそうなんですが、米津さんの書く詞は、基本的にド直球なんですよね。不要にひねることは無い。でも、描くものにブレが無いから、きちんとその世界の余韻までも描くことができていて、言葉以上に大きく大きく広がっていく。

 

とにかく、もし見てらっしゃらない方がいらしたら、このMVを見て頂きたいです。

 

 

 

個人的には、彼の音楽は、現代のSNS等で多く見られる失敗を徹底的に叩き潰すような、マジョリティでありたいと思うが為、その正義を不必要に振り回すような、現代の「不寛容さ」「実体のない正当性」に対するカウンターのようにも感じるんです。

 

その楽曲は、凄まじく美しいのと同時に、ものすごく異形であるように思います。彼はMVでハイヒールを履いていたり、独特なダンスを踊っていたり。歪でありながらとても美しい。歪さが我々の本質である、ということ。それは我々の不要な固定概念を崩し、本来の自分の形であることこそが、「美しさ」であると言っているように僕は感じました。彼の音楽は、その象徴であるのではないでしょうか。彼のサウンドが世界基準で語ることができるように、その詞・存在自体も、今の世界の流れの中心に向かって強く強く放たれているように思います。

 

とにかく、現在の彼は本当に無敵だと思います。ご本人がどう感じてらっしゃるのかはわからないですが、鳴らしたい音のイメージと実際の鳴っている音がとても近く感じる。これって、きっと簡単な事じゃないと思うんですよ。どうしたって、特に我々日本の音楽をずっと聞いてきた人は、ドラムの鳴り方、位置、ギター・ベースのバランスなど、無意識にフォーマットが出来上がっていて、そのうえでメロディがあり、一つの曲が構築される。自分が鳴らしたいと思った音が、実はそのテンプレで大きく曲がってしまっているかもしれないし、鳴らしたいイメージが、テンプレそのものの場合もあると思います。この鳴らしたい音はどんな楽器が何処からどのようになるのか、そのイメージがすこぶる自由に米津さんの脳内で踊っているように、特にLemon以降非常に強く感じます。特に「海の幽霊」からこの「パプリカ」はそのレベルがとんでもないものになっている。

 

今、出会うことによって、何かが動き出すような、とてもとても繊細でありながら、もの凄く強い一曲だと思います。