オザケン in Mステを見たよ!MVも見た!!見たんだ!!!
いよいよアルバムリリースが迫ってきて、オザケン自身も歌詞についてツイートしたりしてらして、「来たな!ついにこの日が!!」感がマックスになる中、ちょこちょこっとティザー的なものが出ていた彗星のMVがいよいよ公開されました。
そして、昨日はMステに出演されましてん!!ワタクシリアルタイムでは無理だったので、録画で今朝見ました!!凄いね!!いきなり階段でツイートしてたね!!
で、それがツアー発表!!!…札幌来ないのね…残念。
あの階段ツイートも、きっと時間軸的な「ここ」と「そこ」は本当につながってるんだ、ということと、片っ端から総否定社会のようになっている日本で、常識から一歩ずれてみる、というか、コリをほぐすみたいなことなのかな、と思ってみていました。
再始動後、とにかくテレビに出る小沢氏はポジティブな切り口で語っているように思います。前にワタクシも記事でこの「彗星」については書かせて頂いたんですが、様々な厳しい現状を認識しつつも、とても肯定的にとらえる様がとても素晴らしく感じました。
で、昨日のMステ。タモさんが仰るように、「今という奇跡」を描いた楽曲であることは間違いないと思うのです。が、それに対するオザケンの反応は、タモさんへの最大級のリスペクトを含めつつ、だからこそ、ここで更に先のキーワードを言いたい!言いたくて仕方がない!!!という「前のめり感」がありました、よね!?
昨日の発言で僕がとても印象に残ったのは、一つが「絶対に確かな事を歌いたい」と言い、空間、というか足元を指さし「これ、今、宇宙というのは確かだ」ということ、もう一つが、きっと皆さん気になったであろう、「彗星」は「水とかでできてて、凄い、ギリギリ危ない」という表現でした。
確かな事を歌いたいと言い、いまここ「宇宙」というのは、フィッシュマンズの「宇宙日本世田谷」をちょっと思い出したりもするけど、Mステでその認識を伝えるのは凄くレアだし、解釈としてそこを提示するのはとても大きなことのように思いました。
で、彗星の方ですが、漠然とした彗星の「美しい」というイメージの別の側面を見せるもので、様々な物には様々な捉え方があって、その両方を知ることが大事なんだ、ということなのかな、と思いつつも、正直はっきりは僕にはわからず。でもそこの違和感こそに重要な何かがあるような気がしました。
そして、MV。これもまさにそのような作品で、日常にある様々なものを色々な角度から色々な立場から切り取っている。提供されたギョーザを挟んで、ババ抜きに興じるオザケンと息子さん。そこにも日常とは違う違和感がある。でもこれって、単純に日本の常識なんですよね、きっと。彼のツイートの多くは、日本と欧米の価値観についてで、否定ではなく、とても面白がる形でなされてます。それに近い感じ。
結局、絶望の裏にはきちんと希望があるし、その希望の裏にだって絶望はある。そんな中で、無根拠な「大丈夫」ではなく、いま、ここ、宇宙、を認識して、しっかりと今そこにある「肯定」を提示する大切さ(随分と前に中村一義が「絶望の望を信じる」と歌ったりしましたが)を、この曲、このMV、昨日のMステから、とても強く感じました。
無根拠ではない、きっちり今目の前にある宇宙という肯定感。でもそこにはきちんと「ギリギリの危なさ」もある。それを知ったうえで、グラスを掲げて行こう!という。とてつもなく強く、とてつもなく身近な、本当に出会えてよかった!まさに名曲!!!と今朝録画を見ながら思っておりました。
演奏、歌については、今更ワタクシなぞが付け加える必要もないかと思いますが、一段と命のこもった歌声になった気がしました。朝からとても素敵な「体験」でした!!