LONGMAN 「Replay」
日本人はいつまでも成長しないで、自分は思春期の中にいると思っている。
的な文章を最近見た。「天気の子」に対する評だったと思うのだけど。
確かに僕は、あの映画を見て、主人公の二人に入れ込みまくってみて、誇張でも何でもなく映画館で嗚咽するほど泣いた。御年42歳。後厄なり。
まぁ、いわゆるところの「モラトリアム」というくくりであろうか。
で、そんな論調で知った。そうか、日本人って結構そんな感じか。僕だけ、とは思わないけど、俺はちょいとキモいアラフォーだなぁ、きっと、でもしゃあないよな。と思っていた。でも皆そうとなるとそれはマズイ。それではきっと国家が成立しない。
確かに、様々なメディアコンテンツを考えても明らかに日本は幼く、閉じている。あと、成長してない。おんなじ物をおんなじく愛でている。おそらく映画が顕著で、きっとヘタしたら、ロッキーとT2で止まってんじゃねぇか、という気すらする。言いすぎか。言いすぎだな。すまぬすまぬ。
で、音楽もおそらくそうだ。結局海外の流行に対する刷新がされない。
だから、きっと日本からはBTSは今のところ生まれない。CHAIは生まれてもBLACKPINKは生まれない。ということは、やはり実体としてメインストリームには届いていない。それは、ONE OK ROCK等もそうだろう。もちろんCHAIは最高だけど、そもそも日本でだって大ブレイクはしていない。
その日本のシーンというものの象徴的な最たる例が、俗にいうロキノン系であり、ギターポップ、あと、ライトな意味合いでの「パンク」だろうと思う。その青さこそが、モラトリアムであり、日本のガラパゴス的側面なんだろう。
そして、僕はその青さがすこぶる大好きだ。そこから離れたくない。
でも、皆がそれではダメだ。経済が成り立たない。ので、皆は早くこの村から出て行ってほしい。僕は残るから。頼む。ダメか。
で、この曲だ。
もうこれ、ど真ん中だ。
ゆるキャン△という、ドラマの主題歌で、たまたまamazonのプライムビデオを見てたら出てきた。丁度「ひとりキャンプで食って寝る」を遅ればせながら見ていた僕としては、一人キャンプ妄想にハマっていた(これも本当にアレだけどな!)ところで、「あら、こんなところにまたキャンプ!」とボンヤリ見ていて、僕世代のお父さんたちが皆そう思う(はず)ように、あらまぁ、まいんちゃん、大きくなって…。と思っていたら、この主題歌にガッツーンと打ち抜かれた。
ひたすらにわかりやすい決別の歌だ。
僕は大学を卒業して就職する自分を思い浮かべて、グッときた。
でも、本当にそれが自分なのかわからん。もしそうだとしたら、なんせ20年も前の話だ。この妄想をこの現代の曲に重ねるのは考えてみたら相当におこがましい。
そして、人は都合よく歌詞を解釈する。
この歌は、ただただ「あのころは良かった」ソングではない。
いつまでも擦り切れず残った
あの頃の夢だけが今も一人
明日へと向かって歩いてく
という歌詞が繰り返されるように、
過去と決別しながらもその夢だけは今も共に歩いている歌だ。
たぶん。
夢だけ一人歩いて行ってしまった…というある種絶望的に切ない歌では無い筈だ。
しかし、絶望的なのは自分の歌詞の理解力だ。申し訳ない!!
話を戻すと、この歌詞があるにも関わらず、僕の脳裏に残るのは完全にこの2行
Good-bye もう戻らない日々よ
Good-bye どうか幸せでいて
とても青く美しい伸びやかなVo.頼木さんの歌声で歌われるこのサビ。
サビなんだから、ここがキーで合ってるのかもしれないけど、とにかく、僕にとってはもうここが全て。この歌詞こそこの歌くらいに思う。これぞ解釈だ。勝手だ。
もう、たまらなく青い。理屈じゃない。それだけでセピアに思い出が輝きだすんだよ…。
この青さこそ、J-POPだし、その真骨頂だ。最高だ。ガラパゴスがなんだ。最高だよ。
でも、だ。やっぱりいいじゃないか、と思う。
別に僕は音楽評論家でもないし、世界基準を気にして音楽を聞く必要もない。
ただ、ただ、この音楽の世界で思い出に浸って、明日元気に歩いて行けるなら最高じゃないか。
確実にこの曲にしか救うことができない感情が僕の中のどこかにある程度の量あって、それをこの曲を聞くことで、ぐっと持ち上げてくれる。これが音楽の素晴らしさだ。間違いない。
ありがとう、LONGMAN。ありがとう僕の青春の日々よ。