SEKAI NO OWARI 「スターゲイザー」
今、SEKAI NO OWARIは、一般的にどのような認知なのだろうか。
イマイチよくわからないのですが、
まさかと思いますが、「ドラゲナイ」の一発屋的な認識ということはないですよね?
(いや、無いとわかってますが、世の中の流れは速いし…)
余談ですが、この「一発屋」って案外厄介でして、俗にいう「一発屋」の皆さんは、大抵は5発くらいはヒットしているんですよ。5発屋。でも1曲やたら売れたがためにそれだけが認識に残る(その一曲の余波のようにそのあと数枚売れているという見方もできるとは思いますが、そうではない人も居ます。KANさんとかを一発屋と言われると「違うんだよ!」という気持ちになります)。実際本当に1曲しか売れてない人は一発屋という認識もあまりされない。最近で本当に一発なのはアッポーペンくらいのような気がしますが、あれにしたって、元々セールスというよりYouTubeでのブレイクなので、判断は難しいところです。そう考えると、今のストリーミング時代、よりいっそう「ヒット」は見えづらいのかもしれないです。
あぁ、逸れました逸れました。
戻しましょう。セカオワです。どうなんでしょうね。今の世間でのセカオワポジション。
勿論大規模なライブでの動員を見るに、人気が無いとは全く思わないのですが、どうなのでしょう。また、fukase氏やsaori氏のキャラクターやLOVE氏のヴィジュアル、共同生活のようなトピックから、ちょっと敬遠しがちな方もいるでしょうか。nakajin氏の立ち位置はどうなのでしょうか。個人的にはnakajin氏にこそ、セカオワ的な世界を強烈に感じるのですが。意味あい的には昔ロッキングオンジャパンで「バンプとは升である」と言ったのに近いでしょうか。わからないですね。自分で書いていても説明は全くできません!!失礼!!!
あのnakajin氏の笑顔の裏には強烈な世界への尖った目線があるようで、彼こそが世の中とセカオワの関係性を象徴する存在のように思っていますのですが如何でしょう。
あぁ、話しが全く本題に入りません。
それこそドラゲナイでドッカーンで、その後もアルバム・シングルと非常にクオリティが高いものを連続で出し続け、通常考えられない規模のツアーを成功させた、唯一無二のバンドであり、更にアウルシティーとのコラボに代表されるように、世界基準の音を鳴らし続けている、ヒットチャート上位のグループとしてはとても貴重な存在なわけですが、ここのところの曲はトガった最先端というよりも、丁寧に丁寧に深く潜り寄りそうような楽曲が続いていたこともあり、印象が少し控えめになっていた感があります。
この曲とか
(あぁ、PV…。失礼ながら初めて見ました。なんだこれ。泣けるだろ。神木くん好きだし…)
ただ、紅白の時も書いたのですが、彼らのメッセージは全く薄れることは無く、物語を踏まえずとも、彼らの届けたい「弱きもの」の側に立つスタンスははっきりと伝わるようになっていて、それを現実世界で伝えられるというのは、より逃げ道のないことであり、更に先に進んでいるということなのだろうと思います。バンプがたどってきた変化にも近いと思うのです。あと、先日Spotifyで彼らのプレイリストを聞いていて、単純に「名曲」と呼べる曲の多さにびっくりしました。とにかくメロディが良い。聞いていると気付くと世界に引き込まれている印象があります。
そして、ようやく本題です。
この度公開された、新曲「スターゲイザー」
これは、2月27日に2枚同時リリースされる、「Eye」と「Lip」の「Eye」のラストを飾る楽曲です。
これが本当に凄い。
サウンド的にもメリハリが効いていて、セカオワの「今」を明確に感じるものとなっているし、音の手触りとしては、「ファンタジー」も「リアル」も「今」も「昔」も、ひとつも置いていっていない、つまり「今」に全てが詰まっている。今の自分は過去の全てがあったからこそ今にいるわけで、「今」を描くことは「全て」を描くことと同じであるということを、音一つで強く感じました。
そして、PVです。
欅坂46の平手さんを起用していることが話題となっていますが、本当にこのコラボレーションはとても素晴らしいと思います。平手さんの「危うさ」「優しさ」「美しさ」「醜さ(これとても大事です)」「儚さ」、そして瞬間の「強さ」が1000%くらいの純度で表現されていて、もの凄く不安定であるのと同時に、瞬間的にとてもとても「強い」。このあまりにも「人」である表現は彼女にしかできないだろうと思います。
合わせて、ノーヘルでバイクに乗っている姿は、今の時代のPVではあまり見られないでしょうか?そんなことは無いでしょうか。
もちろん運転する際にはヘルメットをしましょう。
そういうことではなく、表現としてどう表現するのが「あるべき形」なのか
今の過剰に批判的である社会に対し、この「ノーヘル」が個人的には非常にバランスをとっているように映りました。
そしてそして、更に凄いのが「詞」です。
この歌詞は、例えば序盤では
「死体が腐敗していくように」
「叩けば物は壊れるように」
という、「AtoB」が普遍である、世の定理のようなものと
「学校へ毎日通うように」
「夫婦が一生添い遂げるように」
という、必ずしも「AtoB」ではないことが並列で描かれています。
そして、
「時々頭がおかしくなる普通の日常 stargazer(星を見上げる人)」
という詞で閉められます。
更に後半
更に世界は混迷を深めます
「電車に揺られて眠るように」 はまだしも
「休みをとらずに働くように」
「命を削って生きていくように」
と、AtoBは完全に崩れ、さもこれらがこの世の定理のように語られます。
そして
序盤では「怒鳴れば君が泣くように」と描かれていた「君」が
「怒れば君が黙るように」
「もう君が笑わないように」
と 「泣く」と言う反応すら失い、
恐らく身近な存在であろう「君」が「最大の被害者」として
自分の目の前に現れます
歌詞は改めて
「時々頭がおかしくなる普通の日常 stargazer(星を見上げる人)」
という言葉で終わります。
結局この詞が描くものはなんなのでしょうか。
僕は、「何があなたは一番大切なのか」
ということなのだろうと思いました。
この世は「時々頭がおかしくなる」のが「普通の日常」なわけです。
大きく感覚がマヒした世界で、ただ、逃げたり、世に身をゆだねると最後にきっと君は笑わなくなるのだろうと思うのです。
「星を見上げる人」とはなんなのでしょう。
絶望し、星空を見上げているのでしょうか。
星という普遍的なものと、「人」という身も心も動き続けるものを比しているのでしょうか。
結論は僕にはわかりませんが(勝手)、一つ言えるのは、よりSEKAI NO OWARIは誠実に強くなっているということだと思います。
そして、世界を愁いながらも、何も諦めてないし、諦める暇があれば、一つでも救えるものを救うのだろうと思います。
あらためて「負けても誠実であれ」と、そしてそれは「負け」てなんかいないんだよ、とセカオワが教えてくれている気がします。
アルバム、凄そうです。